2015年05月17日
おおとり絵図 ㊵
『牛深御番所絵図 其の四十』クリックにて拡大

遠見番所から南方向を眺望する視界は天草灘である。その向うは茫漠として果てしなく島礁のないままに水平線が開けている。
ここから天草灘を東北方角へ辿ると下須島の沖合いに到り、唐船は一拠に沿岸に接近することもなく幾度となくこの間を、行ったり来たりする船影がみられ、抜荷(密貿易)取締りの任務など御番所の役割を見極めたに違いない。この遠見番所からの展望は他に比類すべきものもないくらい視界にあったと思われる。
御番所の大龍丸、小龍丸はこの海域へ出張って唐船を確保し、或いは唐船の行き先を確認する機会を常に目論んでいたであろうと思われる。
さらに東北方角へ辿ると薩摩長島の西部沿岸に接近し、ここから北西へ向うと下須島と戸島の間に到り、牛深港へ入る場合の唐船の航路となっている海域である。
この海域を戻り長島西部を通り沿岸を辿ると八幡の瀬戸(黒の瀬戸)の沖合に達する。
さらに阿久根沿岸間近に到ると、薩摩半島の西部沿岸は遠見番所、火立番所、津口番所などが連珠のように連なり、これらの番所は連係しながら漂着唐船の監視を行っていた。また甑島の平港は薩摩藩庁への物資輸送の船舶が頻繁に往来する海峡であった。
鎖国以来東支那海、天草灘に押し寄せた唐船は薩摩半島へ漂着し、島々には実に夥しい唐物(からもの)物資が集荷する状況となり、異国船唐船の監視、措置に止まらず、国内船の『番所改め』により、切支丹、一向宗徒の潜入取締まり幕府禁制品の入境阻止を目的に藩則に基づく取締まりを行ったものである。
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こんにちわ!
はじめましての人ははじめまして!
ここからhirok(^^♪です。
牛深の歴史は薩摩との関係がとても大事だったと何度も書いてきた。
今回絵図最終回。次回まとめ?感想?で第二章というかこのブログは当初の目的をやり遂げたことになると思います。
みなさんはどのような感想になられましたでしょうか?
次回最終回更新は少しお時間をいただきます。


【ブログ内で公開している文章、その他イラスト、絵などについて郷土史家の方が何十年も掛けて研究した知的財産でございますので断りなく保存・転載することを一切お断りさせて頂いております】

遠見番所から南方向を眺望する視界は天草灘である。その向うは茫漠として果てしなく島礁のないままに水平線が開けている。
ここから天草灘を東北方角へ辿ると下須島の沖合いに到り、唐船は一拠に沿岸に接近することもなく幾度となくこの間を、行ったり来たりする船影がみられ、抜荷(密貿易)取締りの任務など御番所の役割を見極めたに違いない。この遠見番所からの展望は他に比類すべきものもないくらい視界にあったと思われる。
御番所の大龍丸、小龍丸はこの海域へ出張って唐船を確保し、或いは唐船の行き先を確認する機会を常に目論んでいたであろうと思われる。
さらに東北方角へ辿ると薩摩長島の西部沿岸に接近し、ここから北西へ向うと下須島と戸島の間に到り、牛深港へ入る場合の唐船の航路となっている海域である。
この海域を戻り長島西部を通り沿岸を辿ると八幡の瀬戸(黒の瀬戸)の沖合に達する。
さらに阿久根沿岸間近に到ると、薩摩半島の西部沿岸は遠見番所、火立番所、津口番所などが連珠のように連なり、これらの番所は連係しながら漂着唐船の監視を行っていた。また甑島の平港は薩摩藩庁への物資輸送の船舶が頻繁に往来する海峡であった。
鎖国以来東支那海、天草灘に押し寄せた唐船は薩摩半島へ漂着し、島々には実に夥しい唐物(からもの)物資が集荷する状況となり、異国船唐船の監視、措置に止まらず、国内船の『番所改め』により、切支丹、一向宗徒の潜入取締まり幕府禁制品の入境阻止を目的に藩則に基づく取締まりを行ったものである。
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今回絵図最終回。次回まとめ?感想?で第二章というかこのブログは当初の目的をやり遂げたことになると思います。
みなさんはどのような感想になられましたでしょうか?
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Posted by hirok○ at 20:00│Comments(0)
│御番所第二章
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