2023年09月04日

伊予の守護大名、河野家の最後

伊予の守護大名、河野家の最後

これは古文書でも近世文書でもないが、おそらく昭和に書かれた縁書なんだろう。

私が集めている他の古文書の中にあった一枚なのですが、特に日の目を見ることがないかもしれないかなと思いまして。
でも広島の三原市とか竹原市や小早川氏などの歴史調べてる人見たい人はいるかもしれないと思いまして公開する次第です。

『法成寺は禅宗にして賀茂郡荘野村
新庄にあり瑚月霊珊禅師を開基として
河野通直公を祭る中途水害の為
寺を三原市移し墓地を竹原の寺山に
移轉し小早川隆景公長生寺を建立
して福山草戸明王院より快遍上人耒り
て当山第一世となり真言宗となる
小早川公より寺糧二百万賜り
墓地当山山腹にあり

法名
長生寺殿月渓宗園大居士
天正十五年七月十四日

不老山春秋院長生寺
住職 豊田恵寛 朱印』

伊予(愛媛)の守護大名(少しだけ戦国大名)だった河野通直のお墓の所在が書かれている物。

という事で不老山春秋院長生寺の説明を見てみる。
伊予の守護大名、河野家の最後

この説明にある
鈴木重仍(しげより)とある。

天草で鈴木と言えば・・・天領時代の代官鈴木重成の兄の正三は禅僧だったよな?なんか関係ありそう。

天正15年(1587)に亡くなったということは、関ケ原(1600)の13年前だったんだぁ。関ヶ原の戦いがもっと早くおこっていたら・・・とか、
もしここで河野通直が亡くなっていないで家督を守り抜いてたら、小早川と一緒に家康側に寝返って勝利を納めてた・・・なぁんていう世界を思うと個人的にはそれはそれで面白い。


タグ :小早川隆景

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Posted by hirok○ at 15:31│Comments(0)その他
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