2021年05月01日

女性天皇について学びたい(第六回)

第45代聖武(しょうむ)天皇

父親文武天皇
母親藤原宮子

文武天皇の子であるので、男系男子。
妃は藤原不比等の娘である光明子。

奈良時代の政権を順にまとめると、藤原不比等、長屋王、藤原四子(不比等の四人の子)、橘諸兄(たちばなのもろえ)、藤原仲麻呂、弓削道鏡、藤原百川である。藤原氏とそれ以外の氏が交互に続く。そして次の平安時代になると摂関政治の幕開け藤原氏が最盛期を迎えることとなる。

聖武天皇即位後、長屋王(天武天皇の孫)は左大臣となるが、聖武天皇(首皇子)が即位したことで、長屋王が天皇になる資格は持って居ても実現には遠いものとなった。系図参照。
女性天皇について学びたい(第六回)

長屋王と藤原氏との対立は自然な流れであった。聖武天皇の即位時に皇后と書かず妃と上記したのには理由があり、光明子の立后に長屋王は反対し対立が激化した。
藤原氏は神別氏族であり皇別氏族ではなかったので皇后を出す事の出来ない家格であったとある。前例がないため自身が皇族である長屋王が反対するのも当たり前ではある。

ここで光明子について整理する。
光明子は藤原不比等の娘で安宿媛(あすかべひめ)と言う。その母は不比等の後妻で県犬養橘三千代(あがたいぬかいたちばなのみちよ)と言う。橘三千代ははじめ美努王(みめおう)に嫁いで葛城王を生んだが、後に不比等の後妻となり安宿媛を生んだ。
美努王は敏達天皇の後裔とされている。葛城王は左大臣となり母方の姓を名乗り橘諸兄となる。その異父妹が光明子である。

神亀4(727)年聖武天皇と光明子の間に皇子が生まれ基王(もといおう)と名付けられた。そして誕生よりわずか33日で基王を皇太子とした。しかし皇太子は生後1年で落命。聖武天皇は大変悲しんだ。
長屋王が呪い殺したという噂がたち、官吏が密告(真実はわからない)を行い長屋王は謀反の嫌疑をかけられた。藤原四子の一人らが長屋王を邸宅を包囲し、弁解の余地も与えられぬまま長屋王は妻子共に自害した。長屋王の変という。
そして藤原氏に政権が集まり光明子は皇后となった。

このことにより藤原氏の権力は皇別氏族から皇后を立てるという皇室の伝統を曲げるほど強力なものだったという事が分かる。

皇太子の基王が没した後、皇太子に立てられたのは安倍皇女(あべのひめみこ)聖武天皇と光明子の娘だった。
女性が皇太子になるのは後にも先にも例がない。

聖武天皇には二番目の皇子の安積(あさか)親王がいたため、安倍皇女を中継ぎとし次に安積親王に継承させるつもりだったと思われる。
ところが安積親王までも若くしてこの世を去り、聖武天皇の皇子は一人もいなくなってしまった。

しかも聖武天皇の父である文武天皇にも他に皇子はなく、それは草壁皇子系統の断絶を意味した。そうなると四代前天武天皇まで遡り擁立するほかなかった。

政権の混乱期で、権力闘争と反乱が繰り返され、疫病や凶作が重なった。凶事が起きるたびに聖武天皇は一身に責任を感じ、仏教の力を借りて難局を乗りきろうとしたと伝えられる。東大寺を立て大仏の建立を命じた。

天平勝宝元(749)年に聖武天皇は天皇として初めて出家し譲位を行った。皇位を受け継いだのは皇太子であった安倍内親王。七代六人目となる女性天皇の誕生であった。

女性天皇について学びたい(第六回)
第46代孝謙(こうけん)天皇
父親 聖武天皇
母親 光明皇后

男系女子。独身。子供なし。

聖武天皇の命により建立された東大寺の大仏は孝謙天皇御代に完成し開眼式を行った。天皇が出家して仏に仕える身となり、仏の偉大さが広まるようになり以降、神仏習合が加速していった。

天平勝宝八(756)年聖武天皇崩御されるに際し、中務卿道祖王(なかつかさきょうふなどおう)を指定され皇太子に立てられた。これには橘諸兄の後援があったと思われている。道祖王の父は新田部親王で、そのまた父は天武天皇なので男系男子。
しかし、翌年諸兄が亡くなるとすぐ道祖王は行動が皇太子にふさわしくないとして皇太子を廃された。

次に孝謙天皇は舎人(とねり)親王の皇子である大炊王(おおいおう)を皇太子とした。

天平宝時2(758)年孝謙天皇は2年で譲位し上皇となり、大炊王が即位。第47代淳仁天皇が誕生した。

第47代淳仁(じゅんにん)天皇
父親 舎人親王
母親 当麻山背
舎人親王の父は天武天皇であるので男系男子。天武天皇の孫。
淳仁天皇は続日本記においては廃帝とある。それは次のとおりである。

淳仁天皇は藤原仲麻呂(不比等の孫)ともとより親密で、仲麻呂の子の未亡人を淳仁天皇の妃とし淳仁天皇と仲麻呂は共に住んでいた。
淳仁天皇の治世で仲麻呂は大出世し政治を自由に操った。

天平宝時5(761)年孝謙上皇は病気を治してくれた弓削道鏡(ゆげのどうきょう)という僧侶と親密になると、次第に淳仁天皇と仲麻呂の政治と対立し始める。

仲麻呂が天皇を介して上皇をいさめたことにより上皇は激怒し出家する。さらに対立が深まった。

仲麻呂は新天皇擁立の謀反を企み戦争の準備を始めたが、上皇に察知され討伐の兵が向けられ一族は殺害された。これを恵美押勝(えみおしかつ)の乱という。

淳仁天皇は廃位して捕らえられ、淡路へ流された。廃位されたため太上天皇(上皇)の号を送られることはなく淡路廃帝と称され、明治の御代で淳仁とおくり名された。

天平宝時8(764)年孝謙上皇自ら復位して再び天皇となった。
女性天皇について学びたい(第六回)


第48代称徳(しょうとく)天皇
(孝謙天皇に同じ)
父親 聖武天皇
母親 光明皇后

男系女子。独身。子供なし。
八代目の女帝、皇極天皇が重祚して以来、109年ぶりの重祚となった。また上皇が天皇を廃位するのも初めての事だった。

称徳天皇が再び即位したことで、政治的立場を強めたのは道鏡であった。
天皇は道鏡を天平神護元(765)年に太政大臣禅師とし天平神護2(766)年には法王とした。女帝と法王の共治体制となると、道鏡は自らが天皇になる野望を抱くようになった。

大分県の宇佐八幡宮の神職らと道鏡の弟らが共謀し神託として「道鏡を天皇へ」という奏上をしたことにより、宇佐八幡宮神託事件が起こる。天皇はこれに関与したものは捕らえさせ流罪に、また道教には皇位を継がせない旨の詔を発した。

皇族ではない者が天皇になろうとまでしたのは、やはり称徳天皇に子供がいないことで、それはさらに天武系の子孫がいなかったという事が明白だった。その為称徳天皇が子供を作ると男系継承が崩れると考え、即位後は結婚もせず子供も作らなかった。もしくは子供を作れない年齢だったから即位できたとも考えられる。

神護景雲4(770)年称徳天皇は病床で白壁王を皇位継承に指名し52歳で崩御された。

白壁王はその年62歳という高齢で天皇に即位し光仁天皇となった。

第49代光仁(こうにん)天皇
父親 志貴皇子(しきのみこ)
母親 紀橡姫(きのとちひめ)

志貴皇子の父は天智天皇なので男系男子。
ここで系図を出す。
女性天皇について学びたい(第六回)
第48代称徳天皇は独身であり子供もいなかったので、天武系から天智系へ皇位が移った。

光仁天皇(白壁王)は天智天皇の孫でありながら、天武系の聖武天皇の娘、孝謙天皇の異母姉である井上内親王を妻とし、間に他戸親王を儲けていた。
白壁王と井上内親王の両系統の繋がりがあったため、この皇位継承が実現できたと思われる。

先祖を同じくする二つの系統が争うことなく、しかも断絶の危機にあった皇統の皇位継承を成し遂げた。

6~8世紀における10代8人の女性天皇は以上だ。
ここまでの感想は、政権を掌握したい皇族が権力闘争を行ったため、また同じように蘇我氏や藤原氏といった有力豪族の娘が皇室に入りその氏族が権力闘争を行ったため、次期天皇の流れを決めるために女性天皇で中継ぎするケースが、推古天皇、斉明天皇、称徳天皇。

天皇が若くして崩御。継がせたい親王が幼いために皇后が代理で繋ぐケース、皇極天皇、持統天皇、元明天皇、元正天皇、孝謙天皇。

特筆すること。
孝謙天皇(称徳天皇)以外の女性天皇は元々皇后であり、後継者にはその皇后と天皇の子、またはその孫にしたいという権力者の意思により即位している。
女性で皇太子となったのは一人孝謙天皇。これも権力者の意向で次の天皇の流れを決めるため後継者を繋ぐ目的で皇太子になった。その為、女性天皇になってから結婚をしておらず、子供もいない。

これらからわかることは皇位継承のため内乱が起こりやすく、女性天皇が即位することでそれをできるだけ避け、後継ぎを指名し譲位をするようになり皇太子の制度が出来ていった。皇位継承順位と言う制度はまだない。途絶えてもおかしくない時代に皇統を守ったこの女性天皇たちの存在は大きいと感じた。

そしてもれなくこの女性天皇になる条件であるのは男系女子(父親先祖を遡ると神武天皇)であった。

女性天皇の残る2例は17~18世紀だ。つづく。


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