2025年05月23日

単純になんで牛深は幕府が作っとんねん!?

なんかいろいろあって今日は歴史にどっぷりつかりたいと思う日になった。


天草へ帰ってきて1年。自分なりに牛深の現状を見てきた。

悲しいかなこういう感じか・・・という感想。

おかげさまでいろんなところでお声がけを頂き、いい仲間に出会い自分の力をどこだったら生かせるか取捨選択できるようになってきた。

とりあえず闇雲に突っ走った一年。今年はもう少し自分のやりたい歴史方向へ進もうと覚悟を決める。

去年はスケジュールに空きが無くて歴史がほとんどできなかったんですよ。
その中でも合間を縫って参加する天草の歴史関係の集まりでは、やはり『牛深に歴史はない』と言われる。

牛深の人でもそういう人ばかり。

悔しい。
ほんとに牛深に歴史ない?こういうのは誰の責任なのだろう?

この牛深御番所ブログを過去書きましたが、その研究は序章であり、ここから私は本気で残りの人生全て費やして調べるんです。

牛深帰ってからやろうと思っていた大きな課題。


これが『御役方要用記録』といって、江戸時代の近世文書。手元にある。
これをまず全部解読します。

天草島原の乱後、天草には異国船監視のため遠見番所が置かれた。

天草の研究はこの遠見番所を異国船監視のためだけと思われていた、いや現状も思っている為軽視しすぎて研究も深くされていない。

牛深に至っては天草全体で軽視しているから、同じように思い深く調べないで現状の説明版は間違いだらけ。

正直他の天草の遠見番所はそれでもいい。

牛深は寛政11年(西暦1799年)に建て替えが行われ、追加で中番所と御番所が新設されている。

何が違うのか難しくなってもわかりづらいと思うので、簡単に言えば天草の遠見番所は設置主体は富岡役所。完成11年の牛深遠見番所、中番所、御番所は江戸幕府

単純になんで牛深は幕府が作っとんねん!?ってならん?

それがこの御役方要用記録に詳しく書いてあるのです。これを一部研究した大学はあるが全文は無い。

俺はやるよ。本気で。


  
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Posted by hirok○ at 23:30Comments(0)