2015年10月25日

イラレが選ぶ幕末ドラマ10選

尊王攘夷(じょうい)を唱えた幕末の志士・武市半平太(錦戸亮)は、投獄された後、主君への不敬罪で切腹を命じられた次の瞬間、彼は自分がどこかの道に寝ていることに気付き、驚く。

そこは現代の田舎の村道だった。タイムリープしたと気付いていない半平太は、見るもの全てが珍しく戸惑うばかり。やがて彼は不審者として通報され、役場の職員・晴香(比嘉愛未)がやって来てのドタバタ創作劇。

先日始まったばかりのドラマ『サムライ先生』です。幕末のお話はほんとに面白いですね。この第一話の中でほんと簡単に日本が開国に至った経緯や攘夷や勤王の説明が行われていました。全く幕末を知らない人に向けての説明だったので、ざっくりでしたがまぁこういうドラマから歴史に興味を持ってもいいかもしれません。面白かったです。


*.♪★*・゜.♪★*・*♪*.♪★*・゜*.♪★*・゜・*♪*.♪★*.♪★*・゜*.♪★*・゜・*♪*.

こんにちは!
はじめましての人ははじめまして!

なんといってもNHK朝ドラ『あさが来た』ご覧になってらっしゃるでしょうか?
イラレが選ぶ幕末ドラマ10選


ほんと幕末はドラマになる。

主役の「あさ」こと広岡浅子。晩年に日本女子大学を設立された方。

幕末、明治の武士社会からの名残りで男性上位の世界で「女性でも負けない」と女性にも学問をと孤軍奮闘するお話。

現在の安倍内閣が提唱する「女性が輝く社会」に通じる内容。

この浅子がどうしてそのように考えるに至ったのかに大きく寄与する人物が第一週第3話から出てくる。

嫁ぎ先への挨拶の為、大坂へ出かけていたあさ。そこで一人のお侍とぶつかってしまいます。
異国の挨拶言葉を使うそのお侍さんとの出会い。あさはこのとき後に自分に大きな影響を与える人だとは気づいていなかった。

それから数年経ち再開したとき、そのお侍さんはあさに「世の中はこれから大きく変わる」と告げる。日本の開国明治維新が先に見えていた。

このお侍こそが、後にあさの商いの師匠となる五代才助なのでした。

はいここ!試験に出ますよ!(何の?w)

このブログを読んでらっしゃる方はもう気付いてるはず。

前回、前々回に書いております。幕末に牛深へ来ていた勤王の志士の中に五代才助の名あったでしょ?

現在の放送中の朝ドラも牛深を想像して見ていただけると感慨深いと思います。

前半のドラマ『サムライ先生』の事に関係させる為、少しだけ書きます。

主人公、武市半平太(たけち はんぺいた)とは吉田松陰に共鳴し土佐勤王党を結成した人物でその加盟者には坂本龍馬はじめ中岡慎太郎、岡田以蔵ら尊皇攘夷派192人がいた。

幕末に牛深へ来ていた勤王の志士の中に岡田以蔵(るろうに剣心のモデル)の暗殺仲間の土佐藩士もいる。

勝海舟、坂本龍馬が牛深へ来たことがあるのかについては調査中で関係文献はいまのところはまだ見付かっておりません。
近くを通っているのは確かなのですが、その頃の大港牛深に寄らない事の方が不自然ではあるのでなんとか文献が見つかることを待望しています。

では、中岡慎太郎はどうだろうか。

調べたことがなかったので軽く調べて見ました。

まさに薩長同盟を模索しているそのときのこと。
元治元(1864)年12月、中岡は下関で西郷吉之助(隆盛)と会っている。
それまでは薩摩に敵意を抱いていたが、西郷の人徳に触れ方向転換し薩長の和解を模索する。

中岡が初めて薩摩へ訪れたのが、慶応元(1965)年閏5月6日。(ちなみに坂本龍馬はその一ヶ月前に薩摩に入っている)。
この辺り中岡自身の手記では詳しく書かれていない。特に薩摩でのことが欠損しているそうだ。

もちろん命を狙われている人たちなので文字で残すのは簡単にはいかないことは想像できるし幕府軍への偽装も考えられなくもない。

少しだけ書かれている部分。
【四日 朝六半呼子出船、七ッ比長崎著港。

五日 晴、午時長崎を発し薄暮長島洋を通る。

六日 小雨、海門嶽下を乗り、午時鹿見島に至る。】

ここに出てくる長島はもちろん牛深のお隣の長島だろう。やはり素通りなのか?牛深に寄港していないのか?
そして薩摩で西郷に会う。その帰りは宮崎周りで大分から下関へ。

ここでその帰り船には西郷も同船していて、このときの説得により西郷は薩長和解を決めたとされている。
帰りは牛深へ寄る機会はなさそう。


中岡2回めの薩摩藩入りは慶応3(1867)年2月30日。このときは詳しく書いてある。

中岡は太宰府から陸路をとり、肥後の松橋から乗船した。そして北薩の長島を通過する。「久呂の瀬戸激潮の難所あり」と、黒之瀬戸のことを記している。そして阿久根に着くと、商人の孫兵衛宅に宿泊し、「阿久根焼酎」を飲んでいる。

黒之瀬戸についてはこのブログで数回出てきているので省略。

このときは絶対牛深へ来ることは無理だなぁ。


今回の調べはここまで。可能性を残すとすれば一回目のときかな。
幕府の施設がある場所を避けたとするなら、なぜ他の倒幕論者は牛深に潜伏したりしたのかな?

密談や話し合いはいわゆる料亭で行われる。牛深はその条件も備わっている。
大久保利通のお妾さんがいたことは事実で牛深に来ていたのは確かなのに公式文書ではなぜ牛深に来たことを発見することができないのか?その他の牛深へ来ていたとされる志士についても同様。

ここが一つでも証明する材料があれば、芋づる式に歴史が塗り替わると思うんだけどなぁ。もちろんそんな簡単には行くわけないw
今回はここまで!幕末面白い!(あ、題名に10選と書きましたが冗談です)


【絵で見る江戸時代の牛深】
ご注文は → こちら ←

製本中でございますので只今のご注文で11月1日以降の発送になります。



同じカテゴリー(御番所第二章)の記事画像
結局最後は増刷決定に行き着いた
牛深が大河ドラマに!?出版のその後・・・
在庫がつきてしまいそうなのです・・・
『江戸時代の牛深』の本は都市伝説ではなかった(汗)
PV(プロモーションビデオ)的なもの
あとがき
同じカテゴリー(御番所第二章)の記事
 結局最後は増刷決定に行き着いた (2015-10-15 05:51)
 牛深が大河ドラマに!?出版のその後・・・ (2015-10-06 03:49)
 在庫がつきてしまいそうなのです・・・ (2015-09-07 04:31)
 『江戸時代の牛深』の本は都市伝説ではなかった(汗) (2015-08-12 04:24)
 PV(プロモーションビデオ)的なもの (2015-06-23 06:30)
 あとがき (2015-05-27 20:00)

Posted by hirok○ at 04:38│Comments(0)御番所第二章
※このブログではブログの持ち主が承認した後、コメントが反映される設定です。
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。



HPはこちら↓

LINEスタンプ

またはクリエイターズスタンプのとこで『牛深』でも『ハイヤコ』でも検索出来ます!