2020年10月13日

明治を学ぶ28

明治28(1895)年4月17日、日清戦争の講和条約・下関条約を結んだ後から続き。

大勝利をおさめた日本は清国に国家予算4倍の莫大な賠償金3億1000万円を請求する。
この賠償金を清国は払えるわけがなくヨーロッパ各国から借金することとなる。

4月23日に露仏独三国の外交要求(三国干渉)が出された。

当時のロシアは南下政策をとっており、ヨーロッパではフランスと軍事同盟を結び黒海を通り地中海へ勢力を広めようとバルカン半島を目指していた。しかし近隣ドイツは対抗策としてオーストリア・ハンガリー・イタリアと軍事同盟を締結。ロシアとドイツは対立していた。
同時進行でロシアは極東アジアでの南下政策も行っていた。日本の勢力拡大を抑えるためロシアの蔵相ウィッテがドイツとフランスに声をかけた。ドイツはロシアの目が地中海に向くよりもアジアに向いているほうが良かった為三国干渉を行う。

5月、初の対外戦争勝利に国内がわき熱狂、東京日比谷に高さ30m長さ110mの巨大な凱旋門を建設。
明治を学ぶ28
上野では祝勝会が開かれ、明治時代の風刺「オッペケペー節」で有名な川上音二郎が日清戦争を題材とした芝居が上演され後の大正天皇も観劇される。

敵に撃たれた陸軍兵・木口小平(きぐちこへい)がラッパを離さず戦死した逸話が広まる。軍国美談が流行。
明治を学ぶ28

功績をあげた軍人が授爵(爵位を受ける)する。戦争で功績をあげれば軍人が華族になれる。これが軍人の最大の名誉になっていく。

三国干渉の対応について総理・伊藤博文が「イギリス・アメリカに仲介を依頼しては?」と言うと外相・陸奥宗光は「味方についてくれるかわからない」と言い、答えを出さないまま足踏みしている間にイギリス・アメリカは中立を表明。

5月4日、賠償金さらに4600万円上乗せし、遼東半島返還した。理由には当時の日本とロシアの兵力差が圧倒的にあった為であった。日本兵20万人に対しロシア兵200万人だった。

国内では納得いかない人が続出、戦勝ムードが一気に下火に。
そこで哲学者・三宅雪嶺(みやけせつれい)の論説「臥薪嘗胆(がしんしょうたん)」を発表したところ国民に流行。
「勝って驕(おご)らざるのみならず、胆を嘗め薪に坐して大いに実力を培養するの必要あることは国民一般の感ずるところ」(目的を達成するために苦労を耐え忍ぶこと。 )

世論がロシアを敵視していくなか政府は日清戦争の賠償金の84%を使い軍事力の増強、軍拡計画を進める。
陸軍大臣・山縣は師団数を6から12へ倍に。海軍大臣・西郷従道は戦艦6隻巡洋艦6隻を英・独・仏に発注。(この時点では日本で独自に軍艦を作る技術が無かった。)

そして台湾統治についてはまた次回。







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