2020年10月10日

明治を学ぶ27

明治27(1894)年7月25日、豊島(ほうとう)沖海戦。
東郷平八郎乗船含む日本艦隊(3隻)と清国艦隊(2隻)が仁川近くの豊島沖で衝突、撃破。
これにより清の輸送を断ち日本は勢いづいた。
しかしこのとき、イギリス船籍の貨物船と遭遇。東郷平八郎が立ち入り検査をしたところ清国の武器、1100人の清国兵が載っていた為攻撃撃沈。これはイギリスが国としてやったのかイギリス商船が商売として請け負ったのかははっきりわかっておらず、イギリスとは問題を起こしたくない首脳陣は頭を抱えた。イギリスとの関係悪化すると思われたが、日清間ではすでに戦争が始まっていたので戦闘海域にいた商船側が悪かったという認識が広まり合法で非難されることなく鎮静化した。
29日、成歓(せいかん)の戦い(陸上戦)。
朝鮮王宮占拠後の処理。清国の戦力が増す前に襲撃して勝ちを得ることにより優位に立った。
福沢諭吉はこの日の社説に「日清戦争は文野(ぶんや・文明と野蛮)の戦争なり」と寄稿し戦争熱を煽った。

8月1日、日清両国が宣戦布告
明治を学ぶ27
3行目「清国に対して戦を宣す」。日本国初対外戦争。
明治天皇に関してこの時点で整理する。
立場は「大元帥」帝国憲法により「陸海軍を統帥す」となっている為宣戦布告文も出すが、「これは私の戦争ではない。大臣の戦争だ」とおっしゃった記録が残っていて戦争に消極的だった。
明治を学ぶ27
清国の宣戦布告文。
これによると清国の言い分は「朝鮮は清国の属国であるのにも関わらず、倭人(日本人)理由なくして漢城(ソウル)に突入して朝鮮独立を手助けしている、内政干渉を認めない。」あれ?敵国の言ってることには日本って朝鮮独立させようとしてるじゃん。植民地支配からの脱却救世主やんね。日本が言ってるんじゃないよ。敵国がだよ(2回目)。

9月8日 山縣有朋(枢密院議長)は最前線での指揮する為、陸軍第一軍司令官として朝鮮へ。大山巌(陸軍大臣)は陸軍第二軍司令官として出征。樺山資紀は海軍軍司令部長として出征。参謀総長有栖川宮熾仁親王出征。
現地に到着した山縣は第一軍将校に檄文(げきぶん)で激励する。
「決して敵の捕虜になるな。捕虜になりそうなときは潔く死を遂げ、日本男児の気象を示し、日本男児の名誉を全うすべし」この言葉が後の悲劇、戦陣訓に繋がっていく。ただこのときの山縣は文字通り国家に命を捧げろと言う意味では言ってはおらず、当時出征して帰ってきた兵士は後にそういう心意気で戦えととらえていたと言い、むしろ逆に言われなくても祖国を守るために故郷や家族を守る為に命を懸けて戦う覚悟が出来ていたのだそうだ。国内世論が戦争に賛成していた。

9月13日、鉄道開通している最西の広島へ大本営(明治を学ぶ26)が移る。広島宇品港は大型の軍港で兵士や物資を送り出す拠点になった。
9月15日、明治天皇広島入り。
9月16日、平壌(ぴょんやん)占拠。陸軍第一軍(山縣)北上を続ける。
9月17日、黄海海戦。日本連合艦隊12隻、清国北洋艦隊14隻激突。日本側沈没艦なしに対し清国側5隻沈没。勝利し黄海の制海権を手に入れる。
10月18日~22日、広島で第7回帝国議会。臨時軍事予算承認。
戦争によって国が一つに纏まった。
11月21日、旅順(りょじゅん)を占拠。
明治28年2月5日、威海衛(いかいえい)の戦い。日本軍勝利。
2月11日、降伏を拒否していた清国司令長官・丁汝昌(てい じょしょう)服毒自殺。日本軍はさらなる進軍を継続、近代化された日本軍が中国本土へ自由に上陸出来るようになった事で、清国の首都北京と天津一帯は丸裸同然となり、ここで清国側は戦意を失った。

3月20日から下関の春帆楼において日清講和会議が始まる。
日本・総理伊藤博文、外務大臣陸奥宗光。清・全権大使李鴻章。
この戦争には約8か月、国家予算8000万円の時代に約2億円(2.5倍)の戦費がかかっていた。
動員された兵士約24万人。
死者数約1万3000人。戦死はこのうち1割(1417人)、残り9割は病死(かっけ、凍死)だった。

4月17日、日清講和条約締結。
内容(大勝利)
・清は朝鮮の独立を認める。
台湾・澎湖(ほうこ)諸島・遼東(りょうとう)半島の割譲。
・賠償金3億1000万円。(国家予算4倍)
・揚子江(現・長江)沿岸都市開市開港。

山縣有朋
「今回の戦争では十分な結果を得た。将来アジアはますます緊迫した情勢に推移するのは避けられないゆえ、この先10年間において一大戦争を覚悟しなければならない。」(欧州大国が圧力かけてくるのがわかっていた。)
明治天皇
「戦争後講和条約結ばれた後は、友好関係を戻して周辺の国々と仲良くしていきたい。みなさんは私のこの想いを理解してほしい。」

23日に露仏独三国の外交要求(三国干渉)が出された事で、日本は止む無く遼東半島を手放した

5月下旬に日本軍は領有権を得た台湾に上陸し、11月下旬までに全土の平定を終えた後に行政機構を敷いた。

明治29年4月1日に大本営が解散。戦争に勝利した日本はアジアの近代国家と認められて国際的地位が向上し、取り分けイギリスとの協調関係を築けるようになった。



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