2015年04月03日

観音庵 ⑨

『牛深御番所絵図 其の九』クリックにて拡大
観音庵 ⑨
 牛深浦の「浦」と言う時代があるので、その絵を表してみた。
 岡三区の観音庵は寛永十三年(1636)の創建で浄土宗。界隈の子供たちは此処の広場で良く遊んでいる姿があった。大戦中は柔術や、青年団のさまざまな訓練ごとが行われていた記憶があり、青年団の倶楽部が建っていた場所が「高札殿(こうさつどん)」であったと思われる。

 さらに、昭和十年、それまで自水庵であったものが称念寺と改まった。称念寺の下の余地のあるところに、富岡代官所からの「制札殿(せいさつどん)」があったということである。

 庄屋、村役人は村民たちへ、この高札殿の書いてある内容を読んで聞かせていたとされている。

 この辺りは「浦」の一部地域であり、、有名な俵屋(たわらや)は唯一、山方問屋(やまかたとんや)の業務を担っていたところと思われる。

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観音庵 ⑨

高札は法令(一般法、基本法)を板面に記すもの、制札は特定の相手や事柄を対象として制定された法令(特別法)を記したもの、どちらも民衆に周知させる方法であった。

この時代、字を読める人のほうが少なかった為声に出して読んで聞かせていたとのこと。
観音庵 ⑨
一般的な高札殿↑
よく時代劇とかで見たことあるやつ。これが今の観音保育園のとこにあったんですね!なんか凄い。
牛深での具体的な内容としては浦高、忠孝、毒薬、火付、抜荷、伴天連、切支丹訴人だった。

ちなみに明治八年この観音庵地を借用して公立牛深小学校を設立したことに始まる記録がある。潮東小の前の話である。


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Posted by hirok○ at 20:00│Comments(0)御番所第二章
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