2015年03月27日
江戸時代-加世浦長手-②
『牛深御番所絵図 其の二』クリックにて拡大

加世浦の先に長手浜がある。牛深御番所の対岸に当り「御番所船藏(ごばんしょふなぐら)」が建てられる。
風の時、又は普段の避難用として、船舶の修理、上架、船舶の蔵入などもここで行うことになっていた。
この位置は現在公園になっている。もとは牛深漁協の所有地で、その以前は深川鰹節工場であったところのようである。
ここから山合いをめぐって廻り込み、瀬戸脇の方向へ行くと、海を挟んで恵比須島があり、その小島は一文字防波堤きわにあったと思われ、島には恵比須様が鎮座していたのであろう。
長手の山の頂上は松林になっていて、近くに居住していた地付遠見番は此処に来て、遠く黒島の背後に広がる外海を見ていたという。
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こんにちわ!
はじめましての人ははじめまして!
ここからhirok(^^♪です。
現在の同場所同方向地図です。

比較してみるとわかりやすいと思います。
地図内に新銀取坂でてますね。詳しくは八景→こちら
前半部分恵比須様の漢字が「比」となっているのは郷土史家の方のお話を書き留めておりますので郷土史家の方の主張を尊重しそのように表記いたしております。現在のえびすさまの場所へ移設される前の場所がわかると思います。
次回は絵図船蔵の上に位置する遠見番役人墓地についてです。

右の第二章タグを押すとまとめて読めます。
【ブログ内で公開している文章、その他イラスト、絵などについて郷土史家の方が何十年も掛けて研究した知的財産でございますので断りなく保存・転載することを一切お断りさせて頂いております】

加世浦の先に長手浜がある。牛深御番所の対岸に当り「御番所船藏(ごばんしょふなぐら)」が建てられる。
風の時、又は普段の避難用として、船舶の修理、上架、船舶の蔵入などもここで行うことになっていた。
この位置は現在公園になっている。もとは牛深漁協の所有地で、その以前は深川鰹節工場であったところのようである。
ここから山合いをめぐって廻り込み、瀬戸脇の方向へ行くと、海を挟んで恵比須島があり、その小島は一文字防波堤きわにあったと思われ、島には恵比須様が鎮座していたのであろう。
長手の山の頂上は松林になっていて、近くに居住していた地付遠見番は此処に来て、遠く黒島の背後に広がる外海を見ていたという。
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次回は絵図船蔵の上に位置する遠見番役人墓地についてです。

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Posted by hirok○ at 06:59│Comments(0)
│御番所第二章
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