2021年04月20日

女性天皇について学びたい(第一回)

明治を学ぶが10月で更新止まってると改めて見て時間の速さに驚いた。

何故更新が止まってしまったのかというと、自分の家系の先祖系図が書かれた古い巻物が手元に来て、その解読にかかりっきりだったからで、そちらはようやく先日一冊の本へ纏めることができました。これは先月末に兄が結婚したのでその時に二人へのプレゼントといたしまして用意した次第です。

その際、巻物調べるためにいろんな古文書や解説本を読みまくったのですが、僕の氏は皇室への厚い尊敬心が家の伝統心情となっていて、皇室と常に一体であるという思い入れが家系の特徴であると書いてあった。

こういうものを読む以前から不思議とそのような感情が僕にはあり、その血が紛れもなく流れていることを実感して嬉しく思った。

そんな中、ツイッターで女性天皇女系天皇について書いておられる方がいて、(女性、女系の違いを知っている前提で話を進めます)ふと女系って普通に議論してるけど女系って言葉自体がおかしくね?って思った。

女系って言うことはだよ、母親を遡ればすべて同じ母親になるって事やろ?現在いるどの皇族でもそれは不可能じゃん。これを女系天皇って言うの?女系天皇って不可能なのに議論に含めるの?こんな単純なことに気が付かなくて女系天皇反対って言ってる人も大声で女系天皇って言ってるおかしい状態。

もう一度言うよ。女系天皇って、そもそもそんな言葉自体が男女平等議論以前にありえないって事。

今まで考えてたつもりの僕も気が付かなかった。考え足りてないと反省。
これをきっかけで、もっと本格的に女性天皇について学んでみようと思い、定価50000円もする天皇大鑑を中古で購入した。菊の御門の入ったそれはもう立派な装丁で歴代天皇の肖像画もあり、事績も大変分厚いので読むのに大変時間を要しますが自分の日記記録としてここに書き、ゆっくり学ばせていただこうと思っております。明治を学ぶはこの後に再開します。

という事で始まり。まず皇位継承図から。女性天皇にピンクの色を載せてます。
女性天皇について学びたい(第一回)

系図でわかるように女性の天皇が即位されたのは10代。うち2代は「重祚(ちょうそ)」(一度譲位した天皇が再び即位すること)なので、実質8人である。初めての女性天皇は誰でも知っている推古天皇だ。

初回は我が国初の女性天皇である推古天皇の即位部分を学ぶ。
女性天皇について学びたい(第一回)

推古天皇の一つ前
第32代は崇峻(すしゅん)天皇。
父親 欽明天皇
母親 蘇我小姉君(おあねのきみ)

蘇我馬子の甥に当たる。
あるとき崇峻天皇のところに猪を献じたものがあった。天皇はそれを指して、「そのうちに自分の嫌いな奴をこの猪を斬るように切ってしまいたい」とおっしゃられたことを聞いた馬子は自分の事と思い、腹臣の東漢直駒(やまとのあやのあたいこま)に命じて崇峻天皇を殺させた。

第33代推古天皇。
父親 欽明天皇
母親 蘇我堅塩媛(きたしひめ)

男系(父方を遡ると神武天皇にたどり着く)の女性天皇である。

蘇我馬子の姪。
大変美人で18歳にして異母兄の敏達天皇の皇后になった。
この時代同母の結婚は厳しく禁じられていたが異母兄弟での結婚は普通に行われていた、もしくはあえて近い血縁関係を保とうとする考え方があったのかもしれない。26~29代もまた継体、安閑、宣化、欽明と近い血縁の皇后を迎えている。

崇峻天皇が殺され、皇位が空いたときに群臣がそろって即位を望んだが、幾たびも辞退された。しかし最後には承諾し33代推古天皇になった。実質権力を持って居た蘇我馬子の力が働いたものとみられている。しかし先代を斬らせた馬子があからさまに政治の表に立つわけにはいかずここで登場するのが31代用明天皇の男子、厩戸皇子(聖徳太子)である。その厩戸皇子に摂政をさせた。

今回は女性天皇についてなので厩戸皇子についての事績は省きます。

即位させた理由としては、政治紛争が続いていたので、中立的な女性を立て社会情勢を緩和し、慕われている推古天皇によって国民の結合を深めようとしたのだと推測されている。

現代社会において、女性に対して飯炊き女というと、女性蔑視だなどと非難を受けることもあるだろう。ここで推古天皇にまつわるお話。
推古天皇は諡名(おくりな)を豊御食炊屋姫(とよみけかしきやひめ)と言い、現代でいう所の飯炊き女である。

意味合いとしては、推古天皇は毎日早朝に起きご飯を炊き、それを神前に供える事を主たる任務としていた。この飛鳥時代にすでに主婦という考えがあり、長らくやってきたことは神事であり、現在の認識に誤解して含まれる誰にでもできるとか雑用などのような意味は含まれていなかった。事実伊勢の斎宮は皇族女性が現在も務められている。

順当にいけば摂政を務めた厩戸皇子は推古天皇崩御後に天皇になるはずでしたが、厩戸皇子が先に薨去され馬子が天皇を助けて政治をとったようである。

それから数年後75歳という当時ではすこぶる長命を全うされ推古天皇はお隠れになった。

第34代舒明(じょめい)天皇。
父親 押坂彦人大兄皇子
母親 糠手姫皇女

父親の押坂彦人大兄皇子のまたその父親は敏達天皇、母親は広姫であるので男系男子という事になる。
先に書いたように推古天皇より先に厩戸皇子が亡くなったので、後継者問題がここでも起こった。

推古天皇の夫であった敏達天皇の子、押坂彦人(おさかのひこひと)大兄皇子の子である田村皇子と厩戸皇子の子の山背大兄王(やましろのおおえのみこ)が候補者であったが、推古天皇が臨終間際この二人を呼び出し、「よく考えて謹んで行動しなさい」と微妙に判断しづらいことをおっしゃったままこの世を去ったので、大臣である蘇我蝦夷(そがのえみし)が中心となって推古天皇の言葉を検討した結果、田村皇子が選ばれ第34代舒明天皇即位となった。

ただこれは山背大兄王にとっては残念なことで、蘇我氏との軋轢になっていくのだがそれはまた次のお話。

初代女性天皇である推古天皇継承についてはこのような流れだった。
結論としては推古天皇は男系の女性天皇であり、後継者においては候補も含め男系の男子のみであった。しかもこの時代何人も異母兄弟で結婚していて血のつながりを特に重要視していたことがわかった。



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