2015年04月05日
上げ ⑪
『牛深御番所絵図 其の二』クリックにて拡大

ここで「上げ」の一帯を描いてみることにした。
「上げ」は瀬崎を含み、瀬崎の岸壁には富岡の藏役所(天草郡内の大庄屋が交替で執務する役所)の天草回船をはじめ、旅商船、潮待船、郡内外の五十集船など多数が繋船するところであった。
玉名の高瀬は天草の庄屋、商人たちが協力して「天草問屋」を建てたところで、そこからの回船が特に牛深へ来ていた。
その他、八代日奈久、葦北地方などの肥後船でも牛深浦は賑わった。
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こんにちわ!
はじめましての人ははじめまして!
ここからhirok(^^♪です。

現在のハイヤ通りのメイン商店街のところですね。もちろん今はないこんぴら山があり、庄屋さんの自宅の場所なども描いてあります。
現在の海岸線は埋め立て拡張されている所が多いですが、一部当時の石垣が残っているところもあります。
文中、藏役所の説明を補足します。年貢米の保管目的で始まった当初は蔵元と呼ばれ、郡会所と改称されてから大庄屋2名ずつ月番でやった後、大庄屋が1年、庄屋が1年の交代制になった。後年は代官所と村の連絡が主な役割になった機関のことをわかりやすく藏役所と表現している。
次回は牛深の歴史にとってまた凄い絵図が登場します。お楽しみに!

【ブログ内で公開している文章、その他イラスト、絵などについて郷土史家の方が何十年も掛けて研究した知的財産でございますので断りなく保存・転載することを一切お断りさせて頂いております】

ここで「上げ」の一帯を描いてみることにした。
「上げ」は瀬崎を含み、瀬崎の岸壁には富岡の藏役所(天草郡内の大庄屋が交替で執務する役所)の天草回船をはじめ、旅商船、潮待船、郡内外の五十集船など多数が繋船するところであった。
玉名の高瀬は天草の庄屋、商人たちが協力して「天草問屋」を建てたところで、そこからの回船が特に牛深へ来ていた。
その他、八代日奈久、葦北地方などの肥後船でも牛深浦は賑わった。
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文中、藏役所の説明を補足します。年貢米の保管目的で始まった当初は蔵元と呼ばれ、郡会所と改称されてから大庄屋2名ずつ月番でやった後、大庄屋が1年、庄屋が1年の交代制になった。後年は代官所と村の連絡が主な役割になった機関のことをわかりやすく藏役所と表現している。
次回は牛深の歴史にとってまた凄い絵図が登場します。お楽しみに!

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Posted by hirok○ at 20:00│Comments(0)
│御番所第二章
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