2020年08月07日

明治を学ぶ13

明治政府樹立以来、鎖国をしていた朝鮮に何度も開国、国交を求めてきたがそのたびに拒まれていました。

明治8年、征韓論は明治6年の政変で一旦治まってはいたが、軍内では必ずしもそうではなかった。

欧米列強は朝鮮を開国させようと日本に圧力をかけていた。そして日本は地理的なことからすぐ隣の朝鮮を清・露の防衛線にし敵ではない存在にしたかった。

膠着した協議を有利に進展させるため、測量や航路研究を名目とし、朝鮮近海に軍艦を派遣して軍事的威圧を加える案が提出されたが、より譲歩的なものに修正可決された。しかし5月「雲揚」6月「第二丁卯(だいにていぼう)」の2隻の軍艦が朝鮮沿岸へと極秘裏に派遣されることになった。 ここでは大きな外交問題は起こらず測量を終え一旦長崎へ帰港。

9月に入って雲揚は改めて清国までの航路研究を命じられて出港。航行の途中、9月20日に朝鮮首府漢城に近い月尾島沿いに投錨。飲料水の欠乏により探水のため小舟を下ろして江華島に接近したところ島に設置されていた砲台から砲撃を受けて交戦状態となった。 先に攻撃してきたのは朝鮮で日本側は正当防衛の面目が立った。国旗を掲げ、ただちに反撃砲撃を開始し江華島砲台を破壊。どうして砲撃を行ったのか尋問するために永宗城島の要塞を占領した。これを江華島事件という。
明治を学ぶ13

明治9(1876)年1月、黒田清隆(幕末牛深へ来ていた)を特命全権大使とする交渉団が江華府へと派遣されると、朝鮮政府は開化派を交渉に先立つ応接の使者に派遣するなど日本側に多大な配慮を示す対応を見せた。黒田は攻撃を受けた場合の対応等も予め指示されていたが、開戦回避という一点において日朝両政府の意図は合致していたといえる。

明治9年2月26日、 黒田清隆は江華府で日朝修好条規を締結。
幕末に日本が欧米と結ばされたような不平等条約を李氏朝鮮と結んだ。自分たちがやられて嫌だったことを朝鮮でやったってことだ。だがこれは批判には値しない。明治維新で海外視察をして学んで欧米列強の真似をしただけでこの時点ではまだ欧米との不平等条約は破棄されていない。日本も生き残るのに必死だった。

条約内容。
釜山・仁川・元山の開港。
日本の領事裁判権。
関税免除。
朝鮮を独立国と認め、清の宗主権を否定。
(これには事前に江華島事件の責任追及で清に対して「宗主国を名乗るのであれば事件の責任を取れ」と主張したところ清は、「朝鮮は清の属国ではあるが、独自の内政・外交を行っているので、朝鮮に対しては責任を取れない」と返答したため「朝鮮が清朝の冊封(さくほう・君臣関係)から独立した国家主権を有する独立国であること」を明記した。これも沖縄を日本領と確定したときと同じだね。)


明治9年3月28日、政府は士族の解体を目指し廃刀令を公布。刀の携帯を禁止した。さらに士族の給料を廃止。
あれ?一回断髪令のときに別名散髪脱刀令って言ってなかった?と思うでしょう。あのとき髪は自由だよっていう条例だと書いたと思うけどこれは刀も同じ。士族は必ずしも刀持たなくていいよ、自由だよって意味。もちろんこの時に刀廃止にしたかったんだけど士族の反乱が怖くて段階的に廃止に持っていこうとしていたって事。徴兵令も完成していたし武士はもういりませんって通告だった。
まぁさすがに今回武士の魂である刀を禁止されては黙っちゃいないよね。士族の我慢限界不満爆発。全国各地で反乱が勃発。

明治9年10月24日 熊本『神風連(しんぷうれん)の乱』
10月27日 福岡『秋月の乱』
10月28日 山口『萩の乱』
全て政府軍数日で鎮圧。逆に政府軍の実践経験にもなり実力を示す形になった。

残った不平士族は続々と西郷隆盛の元へ集まってくる。士族最後の砦でした。
そして7か月続くあの西南戦争へと続くのですが、それはまた次回。


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