2015年05月09日

注進船出動中 ㉜

『牛深御番所絵図 其の三十二』クリックにて拡大


 魚貫崎遠見番所は自らの早駆けの乗馬によって富岡代官所へ伝達していたとしてある。

 亀浦から崎津村への渡海は通常の渡海船でなく、注進船を郡中村々の負担割で建造しており、この注進船により崎津村へ伝達した。崎津村から大江村荒尾岳へ、さらに高浜村へ、富岡町白岩崎へ庄屋手配の村継ぎを整備していた。




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注進船といういわゆる公用船が亀浦にあったという絵です。
この時代村継の伝達手段が完全に構築されていたというのが日本の統治体制の凄さと言えると思います。
この統治体制があるからこそ日本が一つの国だと認められるということですね。



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Posted by hirok○ at 20:00Comments(0)御番所第二章