2015年03月28日

番所ン墓 ③

『牛深御番所絵図 其の三』クリックにて拡大


 長手鼻から山の頂上に至る途中に墓地があり、墓地は移転した。
 移転前の墓所は加世浦区八十歳から九十歳位の人々に「番所ン墓」と呼ばれ、その口碑が伝承されている。
 この墓地を移転前のイメージで描いてみた。天草の従来の遠見番は本来任地を転々と回ることになっていたが、そうした中で八田家青木家丹羽家の歴代は他の土地へ出入りしたこともあるが、長く牛深に居住し遠見番として在任したところがある。
 そこで、この御三家を「牛深の遠見番御三家」と称したい思いである。
 「番所ン墓」を描いてみて、移転前とは異なると思われるが、このような感じであったと思われる。

*.♪★*・゜.♪★*・*♪*.♪★*・゜*.♪★*・゜・*♪*.♪★*.♪★*・゜*.♪★*・゜・*♪*.

こんにちわ!
はじめましての人ははじめまして!
ここからhirok(^^♪です。

今は長手から通天橋の袂まで道路が整備されておりますが、その道路整備の為この番所ン墓は移転されたそうです。元の場所は今の金刃比羅神社辺りになるとのこと。



現在の墓地には移転時の石碑が有ります。内容が不自然ですので全文転載いたしません。一部抜き出します「安永6年風害に合い長手へ移転再建された」
移転当時は御番所の研究もほとんどされていなかったため遠見番所と御番所が混同されているように思われる。そして御番所のことだとしても長手に移転されてはおらず、長手にあったものは前回掲載した御番所船蔵である。台風など風が強いときなどに長手の船蔵に一時避難したことなどを混同しているものと思われる。

このように家族のお墓までも現在まで大事にきれいに残っており、遠見番役人が牛深にとって多大な貢献をされたのかがわかると思います。辞世の句まで残っていてとても興味深い。



【ブログ内で公開している文章、その他イラスト、絵などについて郷土史家の方が何十年も掛けて研究した知的財産でございますので断りなく保存・転載することを一切お断りさせて頂いております】
  


Posted by hirok○ at 20:00Comments(0)御番所第二章