2015年04月02日
商船入湊・石垣湊之図 ⑧
『牛深御番所絵図 其の八』クリックにて拡大
御番所は御用船二艘を待桟させ、浦内に出入りする商船の積載物資の検査、幕府禁制の物資査察など昼夜を問わず行っていた。
又、一方では地元船津の船問屋(ふなどんや)は船舶出入りがあれば番所への報告義務があった。
船津の岸辺には地元の漁船、旅商船などが混在して繋がれていることが日常であった。
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こんにちわ!
はじめましての人ははじめまして!
ここからhirok(^^♪です。
現在地図で言うとこういうかんじですね。この地図の右側にある睦橋はもちろんまだなく睦公園もありません。
御番所の横の山は今となっては名前がわからなくなっていたが丸山と読んでいたそうだ。
これから数回この近隣の話題が続きます。
【ブログ内で公開している文章、その他イラスト、絵などについて郷土史家の方が何十年も掛けて研究した知的財産でございますので断りなく保存・転載することを一切お断りさせて頂いております】
御番所は御用船二艘を待桟させ、浦内に出入りする商船の積載物資の検査、幕府禁制の物資査察など昼夜を問わず行っていた。
又、一方では地元船津の船問屋(ふなどんや)は船舶出入りがあれば番所への報告義務があった。
船津の岸辺には地元の漁船、旅商船などが混在して繋がれていることが日常であった。
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御番所の横の山は今となっては名前がわからなくなっていたが丸山と読んでいたそうだ。
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Posted by hirok○ at 20:00│Comments(0)
│御番所第二章
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